センポ・スギハァラ
第二次世界大戦中、政府の命令に逆らい
6000人以上のユダヤ人の命を救った
一人の日本人外交官がいた
彼の名は 杉原千畝(ちうね)
作/平石耕一 演出/山田昭一・平石耕一
1992年5月28日~31日 アール・エヌ・ホールにて
劇団銅鑼創立20周年記念公演として杉原千畝氏の実話を初の舞台化。
以後、全国から海外まで通算803ステージ上演。
上演期間:1992年5月~2004年12月
また、2007年には、まったく新しい台本で中国公演と福島県で上演した。


【あらすじ】
1968年、一人のユダヤ人・ヨセフが杉原家を訪れる。
1940年8月、当時の在リトアニア日本領事・杉原千畝から発給された、1枚の古びたビザを手に。
当時少年だったヨセフの口から語られたのは、ナチス・ドイツに追われた逃避行の日々。
リトアニアの首都・カウナスに辿り着き、ヨセフの家族 ― ヤンクル家は、
メンデル一家とともに、アパートに潜むことができた。
しかし、待っていたのは、悪いニュースばかりであった。
リトアニアはまもなく、反ユダヤのソ連に併合されること、そのため各国の領事館はほとんど閉鎖されてしまっていたのだ。
残された道はただ一つ。
まだ閉鎖していない日本領事館から日本の通過ビザを手に入れ、ソ連を通って日本に渡り第三国に逃げる方法であった。
唯一の生きのびる手段である日本の通過ビザを求めて、日本領事館を取り囲む大勢のユダヤ人たち。
“タスケテクダサイ”“コノコヲミゴロシニシナイデクダサイ”
杉原千畝は、本国にビザ発給の許可を打電する。
しかし、当時、ドイツと防共協定結を結び、それを日独伊三国同盟に発展させようとしていた政府の回答は、“発給スルナ”
激変する状況の中で、追い詰められていくユダヤ人達を前に、日本領事・杉原千畝と妻・幸子の苦悩の日々が始まった。
激動の時代に翻弄されながら、人間として最良の道を選び取ろうとした3つの家族の物語。
【海外公演の記録】
・1994年8月23日日~9月7日 リトアニア公演
国立ヴィリニュス・アカデミー・ドラマ劇場
国立カウナス・アカデミー・ドラマ劇場
・1998年1月13日~1月26日 ニューヨーク公演
シルビア&ダニーケイ劇場
・2001年9月4日~9月19日 ポーランド公演
国立人民劇場(クラクフ)
国立ユダヤ人劇場(ワルシャワ)
市立現代劇場(ヴロツワフ)
・2003年3月23日~3月31日 韓国公演
文化日報ホール(ソウル)
・2004年10月18日~11月1日 アメリカ公演
ケイプレイハウス(ニューヨーク)
ハロルド&シルヴィアグリーンバーグシアター(ワシントンDC)
・2007年3月15日~3月31日 中国公演
海淀劇院(北京)
上海話劇藝術中心(上海)
浙江児童藝術中心(杭州)
・2007年8月5日~8月19日 中国公演
北方劇場(哈爾濱)
東方大劇院(長春)
青少年宮(大連)